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ご無沙汰しております

 投稿者:蓬生  投稿日:2013年11月19日(火)13時10分41秒
返信・引用
  最近、ヤフーの「みんなの感想」で小理屈を述べております。八重の感想も…

キリンのアルファベットは何だったかな?という名前です。それでは。
 
 

ボランティア = 志願

 投稿者:水戸の梅  投稿日:2013年 3月29日(金)18時29分6秒
返信・引用
  >阪神大震災の折は大阪に在住しておりましたので、神戸にボランティアとして
幾たびか訪れました。・・・
ボランティア・・・ わが国ではややもすると“無料奉仕活動”みたいに短絡的・
類型的に捉えられがちですが、報酬の有無に関わらず、自らの意思を発動して
時には命もかけて国や社会に貢献する、崇高な人々だと考えております。
阪神淡路・・・ 西宮の18歳以来の友人になんの気遣いもできなかったのに、
今回の東日本大震災ではたびたびお見舞いをいただいて、恥じております。
>会津が最後まで抵抗を続けた理由・・・
そういうふうに仕向けられたのかもしれません。良く言えば「一罰百戒」、
悪く言えば「激しいイジメ」。新政府に逆らうとこうだぞ、みたいな。
その後の士族の反乱でも、首謀者の刑は峻厳を極めました。
 

こんばんは

 投稿者:蓬生  投稿日:2013年 3月23日(土)01時28分15秒
返信・引用
  水戸の梅様
返事が遅くなりました。
そうですね。関東も被害が大きかったのですね。お悔やみ申し上げます。
私は九州の人間なので今回の震災の被害は無く、実際被災地を目の当たりにした時は、
その被害規模の大きさに圧倒されました。
ただ阪神大震災の折は大阪に在住しておりましたので、神戸にボランティアとして幾たびか訪れました。

>容保さんの話
実際彼は良く言えば純粋な人、悪く言えば馬鹿正直なんでしょうね(笑
西国の大名達は自分たちの利害関係で動いているのは明らかなのに、彼には二心がない。
会津が最後まで抵抗を続けた理由はその辺にもあるのかも知れませんね。


 

ウチも被災地

 投稿者:水戸の梅  投稿日:2013年 3月 2日(土)18時49分16秒
返信・引用
  ふたたび
>養子ゆえの「がんばり」が空回りした面もあったのではないかと考えるのは穿ちすぎでしょうか?・・・
「大河」ではモロそのとおりで西郷頼母さん、蟄居。
蓬生様「東日本復興支援ボランティア」・・・
あの、ウチもいちおう被災地・・・(泣)
 

こんばんは

 投稿者:蓬生  投稿日:2013年 2月14日(木)18時22分59秒
返信・引用
  小袖様 水戸の梅様
>藩主が血筋ではなく「養子」の場合、藩主本人の気持ちや藩士との結びつき等、そのあたりのところはどうだったのでしょうか?

なるほど確か英王室でも似たような事例があったような…
現イギリス王室の祖はアン女王の遠縁のドイツのハノーヴァー選帝侯が出自のウィンザー朝ですが、ドイツとの戦争などの際、国民の「反独感情」に度々配慮しなければならなかったとか…

私事ですが18日から「東日本復興支援ボランティア」に6日間派遣されることになりました。
当日まで仕事をこなし、夜行バスで22時間かけて南三陸町まで行って参ります。
微力ではありますが被災地の皆様のお役に立てたら幸いです。
という事でしばらくは投稿はお休み致します。

 

御旗・盾無

 投稿者:水戸の梅  投稿日:2013年 2月14日(木)18時19分21秒
返信・引用
  横レスです。
>養子ゆえの「がんばり」が空回りした面もあったのではないかと考えるのは穿ちすぎでしょうか?・・・
いえいえ同感です。「長篠合戦」前の武田勝頼のイメージがだぶります。勝頼は養子ではありませんが、諏訪の血です。新参トップと宿老の図式です。
いっぽうは藩祖の家訓、他方は御旗・盾無。これを出されたんではねー。
>「運が悪かった」で済ますには、事が大きすぎましたよね。・・・
登ったハシゴがなくなっちゃうって、現代でもよくあります。
 

遅くなりました

 投稿者:小袖  投稿日:2013年 2月11日(月)11時56分51秒
返信・引用
  ♪蓬生さん
 ぜんぜん批判とか感じてないですよ、お気になさらないでくださいね。

どの藩にもいえることですが、藩主が血筋ではなく「養子」の場合、藩主本人の気持ちや藩士との結びつき等、そのあたりのところはどうだったのでしょうか?
その藩独特の気風や考え、土地の風土やその家の歴史に裏付けられた気概とか…会津に限ったことではないのですが、平穏な時代ならともかく、天地がひっくり返るような時に、そのことは影響しないのかどうか、ちょっと「気」になってしまいます。
京都守護職に任じられた時、西郷頼母らは反対しましたが容保は藩祖正之の遺訓をたてに貧乏くじを引き受けてしまいます。彼の人柄が評価されての人事だったのでしょうが、このあたり、殿様と藩士の関係、結びつきに影響はなかったのか考えてしまいます。
養子ゆえの「がんばり」が空回りした面もあったのではないかと考えるのは穿ちすぎでしょうか?
公儀(この場合は将軍)と朝廷の両方から気に入られてしまったのも「運が悪かったのかな」とも思えます。
でも、大坂から船で慶喜に拉致同然に同行させられて、江戸に着いたら弟と一緒に放り出される…これはあんまりだと
…ここで、ちょっと会津藩の進むべき方向を考えてもよかったのではないかと、殿様も藩士も。
後世になればなんとでも言えることですが「運が悪かった」で済ますには、事が大きすぎましたよね。

http://moon.ap.teacup.com/kosode/

 

誤解の無い様に

 投稿者:蓬生  投稿日:2013年 2月 5日(火)18時00分47秒
返信・引用
  言葉が足りないようです。
小袖を批判しているのではありません。
会津が自ら滅びた理由は何か?多様なご意見を聞いてみたいのです。
 

八重さんの精神風土

 投稿者:蓬生  投稿日:2013年 2月 5日(火)17時43分43秒
返信・引用
  水戸の梅様
うーん実際の彼女のキリスト教の信仰心は、どの位のものだったのか。
若いころは宣教師や襄の影響で情熱的な信仰はあったのかも知れない。
女紅場を辞めさせられたのは、その辺に理由があったとも言われています。

ただ彼女の教育者としての立ち位置は、
宣教師ではなく、機織りなどの女子の手習いや礼法の教師だったようです。
また彼女の信仰に関する特別な話はあまり聞きません。
聖書の語句を使っての冗談はあったようですが。
そして後年の茶道や仏教への傾倒は周知のことです。

私は彼女の精神的支柱を成していたのは信仰より、
会津の精神的な風土だったと考えます。

女性でも武器を取り藩に尽くすという忠誠心は、
八重さんだけのものではなく、娘子軍を作った会津の女性にはごく自然なことだったようです。
だから新体制である明治政府に順応した彼女にとっては、女性であっても従軍して
国家に奉仕するのは当たり前のことと考えたのではないでしょうか?

だからNHKが安っぽい反戦ストーリーに彼女の従軍を持っていくのは我慢なりません。
小袖さんへの質問はその辺のこともあってのことでした。


 

博愛主義くらいで

 投稿者:水戸の梅  投稿日:2013年 2月 4日(月)18時59分56秒
返信・引用
  小袖さま
書き込み忘れです。
>大学と大学院、加賀藩ゆかりの門をくぐって・・・
“武士の家計簿”のあの門でしょうか。

蓬生様
>まさか反戦主義者的な描き方するつもりなのかな?・・・
そこまではいかないで欲しいですが、洗礼を受けていますので博愛主義くらいでおさまるのではと思います。
>什の掟に基づく滅びの美学とかそういう感覚でしょうか。・・・
>あるいは単なる情報不足から来る政策の失敗という事でしょうか。・・・
どちらも正しいのではないでしょうか。人それぞれの後世の視点として。
 

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